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オーナー Bonus
開設日 2011年03月14日
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--思索する者は、自分で直接その事柄を把握して物語る。したがって自分なりに思索するにもかかわらず、すべての思想家の間には基本的な一致点があり、相互間の相違はただそれぞれの立場の相違から来るにすぎない。しかし立場の違いはそのままでも、彼らのだれもが同じ事を口にするばあいがある。それは彼らがただ客観的に把握したこと以外は言葉として表さないからである。その証拠に、私としては逆説的なため公表をためらった文章が、すぐれた古人の著作に明白な表現を得ているのを後に発見して、喜びと驚きを覚えることがよくあるのである。--

~ショウペンハウエル『読書について』 斎藤忍随/訳より~



--以上に見てきたすべての点においてーーつまり栄養の選択、土地と風土の選択、休養の選択においてーー決定的な役割を果たしているのは自己保存の本能であるが、これがこの上なく明瞭に姿を現わすのは自己防禦の本能としてである。多くを見ない、多くを聞かない、多くを身辺に近づけないーーこれこそが賢明な第一の策であり、われわれが偶然的存在では決してなくて、一つの必然であることの証拠でもある。この自己防禦の本能に対して世間で普通に使われている言葉というのは、趣味である。もしもイエスといえば「自己喪失」となり兼ねないような場面で、この本能の命令形はただ単にノーと言うことを命ずるだけではなしに、出来るだけノーと言うのを少なくすることをも命じているのである。何度も何度も繰り返しノーと言うことが必要となりそうな物事からは、思い切って離れてしまえ、そんなものからは手を切ってしまえ、と命じてもいるのである。この点でいかにも道理に適っていると思えるのは、防衛のための支出というのは、どんなに小額でも、規則化され習慣と化せば、しまいにはとんでもない貧困、完全に無益な貧困を惹き起こすことになり兼ねないということである。われわれの甚大な支出は、小さな額のお金をむやみ矢鱈に度重ねることである。防禦するということ、身辺に近づけないでおくということもやはり、ある種の支出だといっていい。
ーーこの点、惑わされないで頂きたいのだがーー支出と言ったのは、消極的目的のための力の浪費というほどの意味である。人は年がら年じゅう防禦の必要に迫られていると、それだけですっかり弱ってしまって、もはや防禦する能力も尽き果ててしまうことになり兼ねない。
ーーかりに私がわが家を一歩外に出て、そこに見出すのが静かで貴族的なこのトリノの町ではなくて、ドイツの小都市であるとしてみよう。ドイツの町の平板に打ち伸ばしたような、いじけた世界からわが身に押し入って来るいっさいを撥ね返さなくてはならなくて、私はそのために、本能的に自分を閉鎖する必要に迫られるだろう。もしくは、私が目の前に見出すのがかりにドイツの大都市であるとしてみよう。地からは何一つ生え育たず、善も悪もいっさい合財を曵きずり込んでしまっているあの築き上げられた悪徳の都であるとしてみよう。これでは私は、針鼠にでもならないわけにはいかないのではあるまいか?ーー尤も私は針を持たずに素手でいるという勝手もきくわけだから、もしも針鼠のように針を持つとしたら、自己濫費であり、二重の贅沢にさえなるのだが。……   もう一つの賢明な策、ならびに自己防衛は、できるだけたまにしか反応しないこと、自分の「自由」がきかずに自分のイニシアティブをいわば取り外されて、単なる反応薬になり下る憂き目に会いそうな状況や前提からは、身を遠ざけてしまうことである。書物との附き合い方を、私は譬え話として取り上げてみよう。学者は要するにただ「あちこちひっくり返して調べる」だけでーー普通程度の文献学者で日におよそ二百冊は扱うーーしまいには、自ら考えるという能力をすっかりなくしてしまう存在である。本をひっくり返していないときに、彼は何も考えていない。学者の場合は考えるといっても、何かの刺戟(ーー本で読んだ思想)に答えているだけである。ーー結局の処は、何かにただ反応しているだけのことだ。学者はすでに誰かが考えたことに対し肯定【ヤー】だと言ったり否定【ナイン】だと言ったりする、つまり批評する、そのことに力のすべてを使い果たしてしまいーー自分ではもはや何も考えないのである。
……自己防衛の本能が、彼にあってはぼろぼろに朽ち果てている。もしそうでなかったら、書物に対し抵抗するはずであろう。学者ーーこれは一個のデカダンだ。ーー私はこの目で見て知っている。天分もあり、豊かで自由な素質もある人物が、三十歳代ですでに「読書で台無しに」させられ、火花ーーつまり「思想」を発するためには誰かに擦ってもらわなければならない単なる燐寸になり下ってしまった例をである。ーー早朝、一日がしらじらと明け染める頃、あたり一面がすがすがしく、自分の力も曙光とともに輝きを加えているとき、本を読むことーーこれを私は悪徳と呼ぶ!ーー ーー
 ことここに至ると、もはや、人はいかにして自分自身になるかという例の問いに対してちゃんとした答えを出すことを、回避するわけにはいかない。そして、答えを出すことによって、私は自己保存の技術ーーいいかえれば我欲の技術における傑作について語ることになるだろう。--

~ニーチェ『この人を見よ』 西尾幹二/訳より~
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