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    ハーツオブアイアンシリーズ
    2009年11月30日 12:33 更新
    スウェーデンのParadox社が販売している歴史シミュレーションゲームHearts of Ironシリーズのコミュニティでございます。 自動承認ですので「アルバニアに独立保障」「中国の軍閥に独立保障」「極難攻撃性過激の1944年シナリオのドイツでプレイをスタート」するような気持でお気軽に参加をお願いします。 好戦性は控えめに。 日本語版は2009年12月18日発売 シリーズリスト: Hearts of Iron (HoI) Hearts of Iron 2 (HoI2) Hearts of Iron 2 Doomsday (HoI2DD) Hearts of Iron 2 Doomsday Armageddon (HoI2DA) Hearts of Iron 3
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    おもちをくわえて、箸で引っ張ると うにょ~ん と伸びます。 伸びないおもちはだめなおもちです。 今までの道のり------------------------------------------------------ 1941年 スペースインベーダーにあけくれる。 1942年 初めて秋葉原に行く 1943年 初めてゲーム攻略本(スペースインベーダー)を買う 1944年 インベーダーのテーブル機が50万だと知る。小学生には無理とあきらめる 1945年 モデルガンにはまり、池袋の公園でバンバン撃って遊ぶ。 1946年 サンシャインシティに隣接している噴水公園になる前の空き地で、ロケット花火を撃ちまくって遊ぶ。 1947年 池袋ー大塚駅間の線路に降りて側溝にいるザリガニをとって遊ぶ。(ストライキ中) 1948年 スターウオーズが流行りジュースの王冠に10円とか50円とかのくじが付く 1949年 王冠集めに池袋のボーリングセンターやゲームセンターパチンコ屋に磁石を持って行き、栓抜き箱の中の王冠を回収に走りまわる。 1950年 「タイムボカンシリーズ」にはまる。 1951年 「うる★やつら」に、はまる。 1952年 本屋でプログラムを入力すると遊べる電卓があると知る。 1953年 NHKパソコン入門というテキストを購入。 1954年 FM8のバブルメモリーとは何!と疑問に思う。 1954年 月刊誌I/Oに掲載しているゲームリスト入力でダンプリスト片手入力のエキスパートになる。 1955年 アップルのクライストンマナーにあこがれる。 1956年 部活の先輩にモニターを奪われ、モニターなしでBASICリストの入力をする。 1957年 MZ80の表参道アドベンチャーにはまり、嘘英語を習得 1958年 ア・スキーに掲載されたクワルティルカで発狂する。 1959年 FM8、PC-6001、MZ80のプログラムテープを聞くだけでどのマシンのソフトか分かるようになる。 1960年 XEVIOUSをみてあまりの綺麗さにゴルフゲームと勘違いする。 1961年 ポケットコンピュータPB-100を買う 1962年 タンディ・ラジオシャック社のTRS-80にあこがれる。 1963年 ベーシックマガジンを毎月買う 1964年 VIC-1001にあこがれる 1965年 コモドール64にあこがれる 1966年 シンクレアZX-81にあこがれる。 1967年 トミーの日本語ベーシック搭載ぴゅう太にあこがれる 1968年 BANDAIのRX-78(パソコン)にあこがれる 1969年 松下のJR-100にあこがれる 1970年 カシオのFP-1100にあこがれる 1971年 東芝のPASOPIAにあこがれる 1972年 日立のベーシックマスターにあこがれる。 1973年 MZ-80でBEEP音を利用した音声発生ソフトを見つける。 1974年 音声合成で「ピンプルパンプルパムポップン、パンプルピンプルパムポップン」と謎の呪文をしゃべらせて悦に浸る 1975年 先輩が日立S1を購入。DUAL-CPUだぜ!と自慢げに話す。 1976年 顧問の先生が自作マイコンを持ってくる。表示はLED16個のみ、入力はトグルスイッチ16個のみ。IMSAIのショボイバージョンといえば分かりやすい 1977年 トグルスイッチをパチパチ倒して入力するプロフェッショナルとなる 1978年 先生がTK-80の後継機らしいトレーニングマイコンを買ってきて、部員で組み立てる。 1979年 すぐに飽きる。 1980年 z80のダンプリストからアセンブリ言語に変換する人間逆アセンブラーの特訓をする 1981年 msxを購入 1982年 300ボーのrs232cカートリッジを購入してパソコン通信開始 1983年 雑誌の記事をみながら1200ボーに改造。 1984年 MIDIカードを記事をみながら作成 1985年 ケーブルを10メートルぐらい長くしたらMIDIキーボードから出る音がビローンビローンと間延びしたスロー再生になり、ケーブル長に限界があることを知る。 1986年 PC-8801SRをかう 1987年 いろいろなゲームを買いまくる。 1988年 pc-8801の新機種が出るたびに買いかえる 1989年 FM-TOWNSを購入。 1990年 TOWNSのMIDIカードを買ってきて電子キーボードを音源にして遊ぶ 1991年 ちょっと真面目にコルグの1Uサイズの音源を買ってくる。 1992年 T-SQUAREのTRUTHを打ち込みで鳴らす。 ------------------------------------------------------------------------- おもちうにょ~ん人生回顧録より。(???w なお、起こった事の年号はうそですが、時系列は間違いありません。 なんでもありな放送枠です。テストでも何でもご自由にお使いくださいませ ま、いろいろ楽しい事が出来たらイイヨネ! 乞うご期待!! 続きは次回の講釈で(西遊記風)
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    ニコ生深部探査船
    2016年04月17日 08:09 更新
    日本・米国が主導する統合国際深海掘削計画(IODP)において中心的な掘削任務を担当しており、巨大地震・津波の発生メカニズムの解明、地下に広がる生命圏の解明、地球環境変動の解明、そして、人類未踏のマントルへの到達という目標を掲げている。なお、船名の「ちきゅう」は一般公募で選ばれた。 来歴[編集] 海底は地上と比べて地殻が薄い(アイソスタシー)こともあり、掘削調査による地球物理学や海洋地質学の研究に適した場所とされている。1960年代初頭にアメリカ合衆国が着手したモホール計画を端緒として、60年代後半の深海掘削計画(DSDP:後に国際化してIPOD)、1985年からは国際深海掘削計画(ODP)といった掘削調査が順次に進められてきた[5]。 1980年代後半、日本の科学技術庁は、21世紀の地球科学関連研究の飛躍的発展のためにもっとも効果的な施策についての検討を行った。この際に、ODPによる貢献が非常に高く評価された。しかしこれらの諸掘削調査で用いられた掘削船は、DSDPでは「グローマー・チャレンジャー」、ODPでは「JOIDES・リゾリューション」と、いずれもライザーレス掘削にしか対応していないという技術的な限界を抱えていた。このことから、1989年に発表された報告書では、この限界を解決した新型の掘削船を開発し、国際協力のもとで研究を進める必要性が特記された。これを受けて、1990年、政府の科学技術会議は新しい深海掘削船を開発して深海掘削計画を強化することを答申し、同年より、JAMSTECにおいて新たな深海掘削システムの研究および技術開発が着手された[1][5]。 1992年から1994年にかけて設計および要素技術の研究開発が行われ、ライザー掘削システムの導入を基本とした技術計画案が作成された。1995年からは全体システムに関する研究に移行し、本船設計と主要システム、概念設計などが取りまとめられた。そして1999年からは基本設計を開始、2000年3月には、三菱重工業が全体の取りまとめと掘削部分の開発、三井造船が船体部分を担当する建造契約が締結された[1]。そして2001年度の政府予算原案の国会承認に伴って建造は正式に承認され、2001年4月25日に三井造船玉野事業所で起工された。これによって建造されたのが本船である[5]。 設計[編集] 船型は凹甲板型とされ、船体の前方には大きな箱型の上部構造物が配された。上甲板上7層、下1層の甲板に船橋と居住区画が設けられているほか、上端には30人乗りの大型ヘリコプターにも対応できるヘリコプター甲板が設けられている。1本の掘削期間は6ヶ月を想定しており、このために乗組員は1ヶ月おきにヘリコプターで交代するほか、長期間の船上生活を求められる研究者に配慮して、居住区の大半が1人個室とされた(1人部屋が128室、2人部屋が11室)[1]。また、外国人研究者に日本の文化に親しんでもらいながら円滑な意志疎通を図るためのレクリエーション施設として、茶室も設けられている[6]。 船体中央部には、本船の外見上の特徴となるデリック(掘削やぐら)が配されている。高さは、海面上からでも約120メートル、船底からなら130メートルと、世界一である。なおこれは日本国内にあるあらゆる橋よりも高いため、入港できる港は制限されてしまっている[1]。 主機関はディーゼル・エレクトリック方式を採用している。V型12気筒の三井12ADD30Vディーゼルエンジン(7,166 hp (5,344 kW) / 720 rpm)による主発電機(5,000 kW)6基と、V型6気筒の三井6ADD30Vディーセルエンジン(3,600 hp (2,700 kW) / 720 rpm)による補助発電機(2,500 kW)2基を備えている。このADD30Vディーセルエンジンは、国家的プロジェクトとして国内3メーカー(三井造船、川崎重工業、日立造船)が共同開発したもので、耐摩耗セラミック溶射のシリンダー(口径300mm・行程480mm)、ガス交換性に優れた一弁式給排気システムなどの最新技術が導入されている[1]。 推進器としては、船首部にサイドスラスター1基とアジマススラスター3基、船尾部にアジマススラスター3基を備えている。全力航行時は6基、通常航行は5基(中央部1基を非使用とする)、出入港時は船尾部の2基(船底が後部で跳ね上がったバトック・フロー船型部に設置されている)のみを使用するものとされている。また定点保持が求められる掘削中には、これらは自動船位保持システム(DPS)によって自動制御され、水深1,000メートルでは半径15メートル以内、水深2,000メートルでは半径30メートル以内の精度で常時保持できるようになっている[1][7]。これら推進器を制御することで、風速 3m/秒、波高 4.5m、潮流 1.5ノットの海況下においても掘削が可能である[8]。 装備[編集] 掘削用設備[編集] 上記の経緯により、本船ではライザー掘削システム(英語版)を備えている。これは石油プラットフォームなどによる海底油田の掘削では多用されてきたが、科学掘削船としては世界初の採用例となった[1]。 従来の掘削船で用いられていたライザーレス掘削システムではドリル・パイプだけで掘り進んでいたのに対し、本船のライザー掘削システムでは、ドリル・パイプはライザーと呼ばれる中空のパイプのなかを通っている。ライザーは掘削船から海底面まで達しており、そこから先はドリル・パイプだけで掘り進んでいくことになる。ドリル・パイプの先端からは比重が大きい泥水が噴出しており、掘削孔内の壁面圧力を調整するとともに、泥水のしっくい効果によって掘削孔の崩壊を防止できる。またライザーを通じて泥水や削りかすを回収する[1]。 本船の場合、ライザーは内径533mm、1本の長さは27メートル、重量は約27トンである。水深2,500mでの掘削では、約90本をつなぐことになる。また、その内部に通じるドリル・パイプは直径140mm、長さ9.5メートルの高強度鋼管であり、先端部にはダイヤモンドなどの掘削刃がついたドリル・ビットが付けられている。地底下7,500メートルまで掘削する能力を備えている。これは世界最高の掘削能力であり、マントル物質や巨大地震発生域の試料を採取することができる。ライザーの先端部(海底面)には防噴装置(BOP)が取り付けられており、石油やガスが噴出した場合にも掘削孔内に留めることができる[1]。 船上研究区画[編集] 船上では単に深海底掘削を行うだけではなく、掘削試料を用いた分析を行うための研究区画も備えられている。研究区画は居住区後方に配されており、上階から順に、試料の分割を行う「ラボ・ルーフデッキ」、一次的な分析を行う「コア・プロセッシングデッキ」、さらに高度な分析を行う「ラボ・ストリートデッキ」、それらを管理する「ラボ・マネージメントデッキ」の全4デッキに分かれており、総床面積は約2,300m²。掘削・採取されたコアから生じる有毒ガス(硫化水素や炭化水素)に対処するための安全措置が講じられており、陰圧管理とされている[2]。 コアの分析のため、X線コンピュータ断層撮影(CT)装置を搭載するが、これは医療用と同じものである。またサンプルの地磁気測定のため、船舶では世界初となる磁気シールド・ルームを備えている。ケイ素鋼板やコバルト系アモルフェス鋼板などによる4層の磁気シールドが施されており、地球磁場の100分の1、3.5ミリガウス以下に保たれている。また、船体動揺などの加速度のために、船上でサンプルの正確な質量を測定するのは困難とされていたが、本船では質量原器との比較補正によって正確な質量測定を可能にする計量器を開発し、搭載している[2]。 主要運用史[編集] 2001年4月25日 - 起工 2002年1月18日 - 進水式、船名決定。なお支綱の切断は紀宮清子内親王によって行われた[9]。 2003年4月22日 - 海上公式試運転 2004年12月3日 - 海上公式試運転 2005年7月29日 - 竣工 2006年 8月から10月 - 下北半島東方沖掘削試験 11月から2007年2月 - ケニア沖(水深約2200m、海底下約2700m)及び、オーストラリア北西沖(水深約500m、海底下約3700mと水深約1000m、海底下約2200m)掘削。 2007年 9月から2008年2月 - 統合国際深海掘削計画(IODP)による最初の研究航海となる「南海トラフ地震発生帯掘削計画」(ステージ1)を実施、8箇所でコアを採集。 2009年 3月 - 日本マントル・クエスト株式会社に運用業務委託し運用開始。 5月から7月、統合国際深海掘削計画(IODP)「南海トラフ地震発生帯掘削計画」(南海掘削(ステージ2)を実施、3箇所でコアを採集。 2010年 7月から2011年1月、統合国際深海掘削計画(IODP)「南海トラフ地震発生帯掘削計画」(南海掘削(ステージ3)を実施、8月に紀伊半島沖熊野灘でケーシングパイプ、ウェルヘッドランニングツールの一部、ドリルパイプを海中脱落させ遺失。 2012年 2012年2月12日から3月下旬、Non-IODP航海、第1回メタンハイドレート海洋産出試験事前掘削(石油天然ガス・金属鉱物資源機構) 2012年10月3日から2013年1月13日、統合国際深海掘削計画(IODP)第338次研究航海「南海トラフ地震発生帯掘削計画」(南海掘削(ステージ3)を実施[10]。2012年11月18日 低気圧による悪天候によりライザーパイプ上部の機器を損傷し、11月27日 新宮港沖で資機材の交換を実施、24年度の当該作業は中断[11]。 2013年 2013年9月13日から2014年1月31日、統合国際深海掘削計画(IODP)第348次研究航海 「南海トラフ地震発生帯掘削計画」ステージ3の実施[12][13]。 2014年 3月26日から、下北半島東部における海上ボーリング調査の実施[14]。 6月25日から、沖縄近海で「沖縄トラフ熱水性堆積物掘削」の実施について[15]。 2015年 2月、インド共和国沿岸海域においてメタンハイドレート掘削調査[16]。 8月調査終了し帰国[17]。 9月 定期点検実施。 2016年 1月16日 静岡県御前崎沖で実施していた定期検査工事完了後の動作確認試験中に、定期検査において換装した掘削制御システムの動作確認中に、御前崎沖南南東約51.8km付近(水深約3,600m)で海底掘削用のドリルパイプが破断し海中落下させ、ドリルパイプを遺失した[18][19]。 主な成果[編集] 2011年 南海トラフ地震発生帯掘削計画ステージ1の成果として、採集したコアから津波断層の活動痕を初めて発見[20]し、1944年東南海地震の津波断層を特定[21]した。また、過去の東南海地震の活動歴として、C004コアから従来知られていなかった紀元前約1500年±34年と、約10600年前の痕跡を発見した。 2012年4月27日に海洋研究開発機構は、東日本大震災の発生メカニズムを調査する目的で海底の掘削をしていたちきゅうのドリルが海面からの深さ7740メートル(水深6,883.5m + 海底下856.5m)に到達して世界記録を更新したと発表した[22]。 2012年7月16日 水深6,897.5mより海底下854.81mに到る孔内に温度計を設置した。プレート境界断層の摩擦熱の長期変化を観測目的としている[23]。 2012年7月26日からの統合国際深海掘削計画(IODP)第337次研究航海「下北八戸沖石炭層生命圏掘削」において、9月6日に海底下からの掘削深度2111mを超え、9月9日に海底下からの掘削深度2466m海洋科学掘削の世界最深度記録を更新した[24]。 2013