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    リンクは何も貼らない。ワンクリックじゃ分からないから。 -------------------------- もともとこのコミュニティは、ネットゲーム「Paperman」のオフラインイベント会場からの中継として使用していました。 -------------------------- 2011.3.11 PM2:46 東日本大震災 発生 国内観測史上初のマグニチュード9.0 死者数も阪神淡路大震災を超え、行方不明者をあわせると戦後最悪の大災害となってしまった。 災害は防げない・・・でも、さらなる災害は防げるのでは・・・? そのころ被災地では、餓死するか凍死するか・・・命の瀬戸際に立たされていた。 助けを待つ被災者からの声を、人命救助の媒体に伝えると・・・ 「被災地の現状がわからないので、義援金のみ募集してます(栃木県庁答え)」 「他にやる事があるので、被災地に物資調達は行けません(自衛隊宇都宮北駐屯地)」 「宇都宮市では福島県向けの救助及び支援ヘリコプターなども飛んでいますが、実際に避難所にまで届いたかどうかは分かりません(県災害対策本部)」 自治体、政府、自衛隊、災害対策本部・・・人を助けるであろう任務の媒体が、被災地にいない現実。 腰の重い自治体が動くのを待っていたら、災害で生き残った家族が人の手で殺されてしまう・・・! -------------------------- 今回の大震災で7.4Mという巨大津波が町を襲い、全壊状態となった南相馬市出身の大土雅宏(おおどまさひろ)=O.D.O は、地震発生の翌日に動きだしていた。 幅広い人脈の中でも、特にEXTRIDE、JOYSTICK、FILLMOREなどのアーティストが主体となって全国に呼び掛けた。 そして日本中が大混乱している中、4tトラックを手配し、青森から宮城、福島の各被災地を見て回った。 現状は、予想以上の惨状だった・・・・。 その間もmixiを通じて物資の募集などを募っていたが、たった3日の間に30tの物資を集めることができた。 この活動が全国規模に広がり、新たに「東北関東大地震支援隊(BOND&JUSTICE)」というコミュニティを立ち上げ、現在も各地の情報などがリアルタイムで更新されている。 そこには、マスコミに抑制されていない「現実」の声が書いてある。 同コミュニティは、運営4日目で参加人数2000人を突破している。 -------------------------- この活動を知り、物資の支援に必死になった私だったが、大事なことを忘れていた。 それは、本当の意味で「人のため」の活動になっていなかったことを。 この活動に何らかの形で参加している全員が、「自分のため」に動いていた。 福島、宮城、東北に縁のあるもの、ないもの・・・・ 求められたわけじゃない。それぞれがお互いを知らないなかでも、自分に何ができるか考え、自ら立ち上がったのだ。 被災地に家族が取り残されている者たちの中には、自らの「不安を消すために」動いている者もいた。 私もそうだ。 家族と連絡が取れたのは3日後だったが、それまでの3日間は悲惨だった。 泣いても心が落ち着かなくなると、心のケアを誰かに求めた。 しかし、人には人の生活がある。大切なものが、別にあるのだ。 被害のない地域からは呑気な話しか聞こえてこないし、誰かが地震の事を面白おかしく話すのが憎いこともあった。 でも、それが生活なのだから。 いつかは被災地も、平常に戻るのだから。 何かを犠牲にしてまで誰かを助けるとしたら、それは人助けじゃない。 自分や誰かの生活、そして大切なもの何か・・・ それは人それぞれ違うのだし、大混乱している日本ならば、なおさら強調されるだろうから。 誰かに何かを求めるのは、無理強いしてるだけでしょ? 何も伝えなくても、被災地へ支援したいと思う人なら大勢いたのだから。 -------------------------- そう感じてから、物資支援ばかりのことで頭がいっぱいだった私にも変化があった。 実際にこの活動の場を見に行って、食事もせずに動いている状況にも気付いた。 そして、もっと広く広めたいと思い、この活動の宇都宮支部「ALLSTAR」から生放送を始めたわけだが・・・ まず、この活動名がなかったため、仮称として「O.D.Oプロジェクト」として放送した。 しかし、私が出しゃばらなくても、この活動は大きな力になっていた。 むしろ、動いているみんなには邪魔になることも多かった。 しかし、やめるわけにはいかない。続けることに意味があるのだから。 自分で納得できるところが見えないまま、終わるわけにはいかないんだ。 -------------------------- そして放送開始2日目、みんなに豚汁を差し入れた。 「あったけー」って言って食べてくれるみんなを見ていて、初めて自分にできる事に気付いた。 “サポートする人たち”ではなく、“サポートしてる人たちのサポート”ならできるかもしれない。 自分にできること、本当に些細な事が、誰かの力になっていくんだって。 そう感じた時、思ったんだ。 「人のためって、エゴかもしれない。」 -------------------------- そして放送開始3日目、カレーを差し入れた。 実話ナックルズの取材予定があったため、この日は6時間の最大枠で放送していたが、実話ナックルズは被災地・いわき市へと向かったと聞いた。 この実話ナックルズの記者たちは、いわき市のHOTEIさんという人のお店を取材する予定だったが、HOTEIさんはいわき市から宇都宮市に避難していたところだったのだ。 放送2日目に宇都宮支部「ALLSTAR」にて地震発生から避難するまでの話や、全国規模でのこの活動のことも伝えることができた。 そして放送開始3日目、大土さん本人mixiにより、この活動名が決まった。 「BOND&JUSTICE」 絆、そして正義 今、大土さんがどこにいるか、それを心配する人はいない。 彼が何をしているか、不信を持つ者はいない。 大きな活動を続けていく中で、違いを感じたらやめればいい。 違う音を出す楽器は耳障りになるだけだ。 しかし、身体が心について行くのには限界がある。 「自分の何かを犠牲にしての活動」になってしまうと、心も離れていく。 知らぬ者は尚更、無理を感じると離れていく。 そう、人間はいつまでも泣いていられない。笑うのが好きなんだから。 どんなに悲惨なことでも、人間は忘れる。 でも、何かをきっかけに思い出すんだ。 BOND&JUSTICE も、いつかは思い出になっていく。 でも、いつまでも、心のどっかに残ってく。 誰かの笑顔になったってことを。