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    キルケゴールさんのコミュニティ
    2022年02月10日 01:28 更新
    キルケゴールのコミュニティです。 みなさん、ぜひフォローしてください。
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    歌と遊びとキャンベルと
    2018年04月23日 15:15 更新
    ようこそ!! おいで下さいましてありがとうございます。 歌が好きということ以外何の取り柄もない主がひっそりと歌っていくコミュニティです。 私一人が知ってる曲はとても少ないものです。 是非是非、 皆さんのお気に入りの曲をリクエストして下さい。 2~3枠くらいで覚えて御覧に入れます(´・ω・`) 言葉は、それが使われる「文脈」の中で意味が決まります。 これは成功哲学や自己啓発で語られる様々なコンセプトも同様。 精神分析や心理学の歴史的文脈を考慮しなければ、 本来の意味とはズレた理解で語られることになってしまうのです。 そして、コーチング、カウンセリング、セラピーなどの 流行りのメソッドのほとんどが、ズレた理解で語られているという現状。 バックボーンとなる理論を、線ではなく点だけを切り取って、 自論に合わせるような拡大解釈で落とし込んでいます。 「アファメーション(自己暗示)で夢が実現する」や、 「潜在意識の力で無意識的に人生が変わる」など。 元々は、フロイトが無意識(潜在意識)というものが どうやって出来るのかを説明せずに使い続けたことが原因でもありますが、 のちに精神分析学と構造主義の結合を目指した ジャック・ラカンの研究成果を踏まえるだけでも、 今の業界での使われ方には大きなズレを見て取ることができます。 私が思潮塾を開講している理由は、本当の意味での 自己啓発のあり方を追求することと同時に、 ビジネス化が行き過ぎた現業界への挑戦でもあるのです。 得たい未来をどんなに強くイメージしても、 多くの人はいつまでも変わらない。 結局、強く思っているだけで行動しなければ、 物理的現実世界は変わらない。 では、どうすれば「未体験」という不安や恐怖の本能を乗り越えて、 人は行動できるのでしょうか。 現代の自己啓発プログラムのほとんどは、 この一点に向き合っていると言っても過言ではないでしょう。 そして、様々なメソッドの理論的バックボーンにあるのが、 実存主義哲学に端を発した「自己」という存在の捉え方。 キルケゴールやサルトルの登場以降、 世界の潮流にも大きな影響を与えたこの考え方は、 自己啓発業界とも相性が良かったといえます。 自分にとっての幸せとは? 自分にとっての世界とは? と人間的でもあります。 比較的わかりやすい言葉でも語られるから、 自己重要感を求め続ける、迷い悩める人々も動かしやすい。 一方で、 つねに自分を起点として考え、過去の思い込みを書き直し、 新しい解釈の臨場感を上げて行動させるという基本的なメソッドは、 頭では分かっていても実践できない多くの人を生み出してきました。 人は自分ひとりではなく、 他者との関係性の中でそれぞれの環境に生きているわけですから、 経験値や性格、現状維持を望む人間の本能の強さを踏まえると、 誰でも同じように行動できるはずがありません。 結論。 特に強者でもないふつうの人が行動するためには 「自己を起点として未来の臨場感を上げる」 という従来のやり方ではなく、 現在の自己を作っている自己以外の世界、 その本質を客観的に捉えることで 「過去と現在の臨場感を下げる」 というやり方が最も現実的だと考えます。 人は臨場感が上がればその世界が現実に近づくけれど、 逆に臨場感を下げることで、 新たな現実を求める本能を呼び覚ますこともできるのです。 そもそも未来よりも過去や現在のほうが臨場感が高く、 未来を求める快楽よりも、 過去や現在から逃れようとする痛みのほうが、 人を動かす力は大きいのです。 そして、現実的には後者のやり方のほうがリスクも低く、 個人差も縮まるため、行動につながる再現性も高まります。 では、今の自分を作っている 世界観や常識の臨場感を下げるためには、 一体何を学べばよいのか。 その答えをお話させていただく場として、 このコミュニティーをご用意いたしました。 流行りの自己啓発メソッドを支えている 脳科学や心理学のさらにベースにある「メタ知識」を学ぶことで、 今の自分を形成している世界の常識や思考の本質を追求する。 メタ知識は「無意識の知識構造」とも言うべきもので、 今まで実際に学んだ知識のルーツになる知識ですから、 おそらく学んだ本人も気づかずに影響を受けているものです。 通常ここまで踏み込んで教えている人はいませんので、 誰かに教えてもらわなければ、なかなか気づけない知識とも言えるでしょう。 例えば、自己啓発の世界で言えば、様々な考え方に基づいた コーチングスキルやカウンセリングスキルがあるわけですが、 「その考え方を作っている土台となる考え方は何なのか?」 あるいは「なぜ、その考え方が正しいと言えるのか?」 といった疑問に明確に答えられる人は少ないはずです。 おそらく「最新の心理学の研究でそう言われているから」だとか、 あるいは言葉で説明できない抽象世界の概念(「宇宙」「異次元」「潜在意識」等々、 その他のスピリチュアル系ワード)に逃げ道を求めている人も多いのではないでしょうか? じつは、多くの人が抽象世界(精神世界)の概念に逃げるのにも理由があるのですが、 ここには人の「認識」「存在」「意味」の在り方やその成り立ちが大きく関わっています。 そして、あいまいな抽象世界の概念に逃げずに、 言葉の外にある世界(実際には無い世界)であっても、 現実の言葉で最大限説明しようと追求したものが、 メタ知識としての現代哲学であるとも言えます。 メタ知識を学ぶことは、 感覚だけでなく論理的な納得感と臨場感が得られると同時に、 今まで言われるがままに当たり前のように受け止めていた「現実(常識)」の 臨場感を下げることにも繋がります。 私がこれまで学んできたことは、様々なコンセプトの土台となる 「メタ知識(認知科学も分析哲学もそのひとつです)」だけです。 そして、ある意味では、「メタ知識」の力を証明するために、 直接現場のビジネスに落とし込んで実践してきたに過ぎません。 大切なのは、メタ知識としての現代哲学や思想の流れ、 すなわち「思潮」を学ぶこと。 業界で流行っている様々なメソッド、 今まで皆さまが学ばれてきた数多くのコンセプト、 そうした知識のさらに土台となっている知識について学んでいきましょう。
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    キルケゴールのコミュニティ
    2018年04月21日 00:59 更新
    キルケゴールのコミュニティです
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    お厚いのがお好きな放送局
    2014年04月24日 05:41 更新
    教養人になりたかったのにキモヲタになってしまった残念な奴の放送です。 ちなみに、主は両性愛者で、嫌韓厨です。 +++++好物(こういう話を振られると食いつきます)+++++ 音楽:民族音楽(ワールド系)・クラシック・宗教音楽・クラシカルクロスオーバー ゲーム:18禁乙女ゲー(※BLゲーはそんなにプレイしない)とゆるいレトロRPG 哲学:ブッダ、ショーペンハウエル、カント、キルケゴール、フーコー、パスカル 政党:たちあがれ日本 現役国会議員:中山恭子参議院議員 メディア:チャンネル桜 尊敬する人:昭和天皇、今上天皇、ダライ・ラマ14世、ラビア・カーディル氏 楽器:ハープ 大雑把に説明するとこんな感じ ・TPP 反対 ・増税 反対 ・皇位継承論 男系絶対支持 ・エネルギー政策、原発など 推進派 ・憲法 無効論派 ・夫婦別姓法案:反対(夫婦は同姓であるべき) ・同性婚 審議中 ・人工妊娠中絶:現状維持。超低容量ピルに認可を与えることに賛成 意見の違う方に来ていただくのも歓迎しますが、考えを変えることはないと思います…正直(´・ω・`) たちあがれ日本の政策は大体支持していますが増税案は反対です。 聖書は好きですが、日本のキリスト教団体は大嫌いなアンチです。
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    BONUS STAGE
    2013年11月19日 05:52 更新
    --思索する者は、自分で直接その事柄を把握して物語る。したがって自分なりに思索するにもかかわらず、すべての思想家の間には基本的な一致点があり、相互間の相違はただそれぞれの立場の相違から来るにすぎない。しかし立場の違いはそのままでも、彼らのだれもが同じ事を口にするばあいがある。それは彼らがただ客観的に把握したこと以外は言葉として表さないからである。その証拠に、私としては逆説的なため公表をためらった文章が、すぐれた古人の著作に明白な表現を得ているのを後に発見して、喜びと驚きを覚えることがよくあるのである。-- ~ショウペンハウエル『読書について』 斎藤忍随/訳より~ --以上に見てきたすべての点においてーーつまり栄養の選択、土地と風土の選択、休養の選択においてーー決定的な役割を果たしているのは自己保存の本能であるが、これがこの上なく明瞭に姿を現わすのは自己防禦の本能としてである。多くを見ない、多くを聞かない、多くを身辺に近づけないーーこれこそが賢明な第一の策であり、われわれが偶然的存在では決してなくて、一つの必然であることの証拠でもある。この自己防禦の本能に対して世間で普通に使われている言葉というのは、趣味である。もしもイエスといえば「自己喪失」となり兼ねないような場面で、この本能の命令形はただ単にノーと言うことを命ずるだけではなしに、出来るだけノーと言うのを少なくすることをも命じているのである。何度も何度も繰り返しノーと言うことが必要となりそうな物事からは、思い切って離れてしまえ、そんなものからは手を切ってしまえ、と命じてもいるのである。この点でいかにも道理に適っていると思えるのは、防衛のための支出というのは、どんなに小額でも、規則化され習慣と化せば、しまいにはとんでもない貧困、完全に無益な貧困を惹き起こすことになり兼ねないということである。われわれの甚大な支出は、小さな額のお金をむやみ矢鱈に度重ねることである。防禦するということ、身辺に近づけないでおくということもやはり、ある種の支出だといっていい。 ーーこの点、惑わされないで頂きたいのだがーー支出と言ったのは、消極的目的のための力の浪費というほどの意味である。人は年がら年じゅう防禦の必要に迫られていると、それだけですっかり弱ってしまって、もはや防禦する能力も尽き果ててしまうことになり兼ねない。 ーーかりに私がわが家を一歩外に出て、そこに見出すのが静かで貴族的なこのトリノの町ではなくて、ドイツの小都市であるとしてみよう。ドイツの町の平板に打ち伸ばしたような、いじけた世界からわが身に押し入って来るいっさいを撥ね返さなくてはならなくて、私はそのために、本能的に自分を閉鎖する必要に迫られるだろう。もしくは、私が目の前に見出すのがかりにドイツの大都市であるとしてみよう。地からは何一つ生え育たず、善も悪もいっさい合財を曵きずり込んでしまっているあの築き上げられた悪徳の都であるとしてみよう。これでは私は、針鼠にでもならないわけにはいかないのではあるまいか?ーー尤も私は針を持たずに素手でいるという勝手もきくわけだから、もしも針鼠のように針を持つとしたら、自己濫費であり、二重の贅沢にさえなるのだが。……   もう一つの賢明な策、ならびに自己防衛は、できるだけたまにしか反応しないこと、自分の「自由」がきかずに自分のイニシアティブをいわば取り外されて、単なる反応薬になり下る憂き目に会いそうな状況や前提からは、身を遠ざけてしまうことである。書物との附き合い方を、私は譬え話として取り上げてみよう。学者は要するにただ「あちこちひっくり返して調べる」だけでーー普通程度の文献学者で日におよそ二百冊は扱うーーしまいには、自ら考えるという能力をすっかりなくしてしまう存在である。本をひっくり返していないときに、彼は何も考えていない。学者の場合は考えるといっても、何かの刺戟(ーー本で読んだ思想)に答えているだけである。ーー結局の処は、何かにただ反応しているだけのことだ。学者はすでに誰かが考えたことに対し肯定【ヤー】だと言ったり否定【ナイン】だと言ったりする、つまり批評する、そのことに力のすべてを使い果たしてしまいーー自分ではもはや何も考えないのである。 ……自己防衛の本能が、彼にあってはぼろぼろに朽ち果てている。もしそうでなかったら、書物に対し抵抗するはずであろう。学者ーーこれは一個のデカダンだ。ーー私はこの目で見て知っている。天分もあり、豊かで自由な素質もある人物が、三十歳代ですでに「読書で台無しに」させられ、火花ーーつまり「思想」を発するためには誰かに擦ってもらわなければならない単なる燐寸になり下ってしまった例をである。ーー早朝、一日がしらじらと明け染める頃、あたり一面がすがすがしく、自分の力も曙光とともに輝きを加えているとき、本を読むことーーこれを私は悪徳と呼ぶ!ーー ーー  ことここに至ると、もはや、人はいかにして自分自身になるかという例の問いに対してちゃんとした答えを出すことを、回避するわけにはいかない。そして、答えを出すことによって、私は自己保存の技術ーーいいかえれば我欲の技術における傑作について語ることになるだろう。-- ~ニーチェ『この人を見よ』 西尾幹二/訳より~