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    子供達を守り次世代に命のバトンを渡そう! このコミュに賛同されない方はリスナーさんも、生主さんもコミュから抜けてもらって 結構です。 人類はいずれ絶滅する。生物として当然である。恐るべきではないし、避けられる事でもない。それと同じように、ひとりの人間も、どんなに死を恐れても、死を回避しようとしても、いずれ死ぬ。 一人の人間など、ある時にたまたま生を受けて、そしてある時たまたま自然に帰るだけである。 人間の物理的な生命、あるいは生命体としての生命に威厳があるとは、私は露の程にも思わない。もし人間に尊厳があるとすれば、生命あるかぎりその一瞬一瞬を、他の生命体と向き合って、いかに生きるかという生き方の中に、それはある。 原子力に反対して活動している人たちの大きな根拠のひとつに「命が大事」ということがある。 しかし「命が大事」ということならば、原子力を推進している人たちにしてもそれは否定しないで あろう。決定的に大切なことは「命が大事」であると思うときには「他者の命も大事」である事 を心に刻んでおくことである。自らが蒔いた種で自らが滅ぶのであれば、繰り返すことになるが 、単に自業自得にすぎない。問題は自らに責任のある毒を、その責任のない人に押し付けなが ら自分の生命を守ったとしても、そのような生命は生きるに値するかどうかとういうことである。 私が原子力に反対するのは、事故で自分が被害を受けることが怖いからではない。ここで詳しく 述べる紙面もないし、その必要もあるとは思ないが、原子力とは徹底的に他者の搾取と抑圧の上に 成り立つものである。 その姿に私は反対しているのである。 もちろん私も放射能など決して食べたくない。しかし、私たちが自ら選択したか否かにかかわらず、すくなくとも現在日本というこの国に住み、原子力の電気をも利用している人間である。 現に原子力の恩恵を受けている私たちが結果としてであれ、汚染だけを第三世界の人々に 押し付ける事になる選択をすることは、原子力を廃絶する道とは相容れない。 今日現在している多様な課題を乗り越えるための唯一の道は、それらのひとつひとつをとり 組んでいる多様な運動が根源的な地平で連帯することである。 その連帯を可能とする原則だけは、何としても守りぬかなければならない。 ソ連やヨーロッパの汚染食料については、日本国内にどんどん入れるべきである。その上で 、いかにすれば自らの責任を少しでも果たし、責任のない人たちに少しでも犠牲をしわ寄せし ないで済むかを考えること。そして現実の中でひとつひとつ選択することこそ、今私たち日本人 に求められている。私は日本の子供も含め世界中子供たちに汚染食料を食べさせたくない。 しかし、私自身はこの日本という国に生きる大人として、それなりの汚染を受ける責任がある と思っている。チェルノブイリ事故後、私は敢えて汚染食料を避けない生活を続けてきた。 今後もそのつもりである。そうすることで、現実の汚染が消えるわけではないし、世界の差別 全体が解消されるわけでもない。当然、私の苦悩が消えるわけでもない。世界に苦悩がある かぎり、個人の苦悩が消えることなどありえない。世界がかかえる問題に向き合って、いわれのない犠牲を他者におしつけずにすむような社会を作り出すためにこそ、私の生命は使いたい。 そして、そのような社会が作り出せたその時に、原子力は必然的に廃絶されるのである。 1992.1 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章